つけペンと、骨

つけペンという道具を使うとき、僕はいつも少しだけ時間の流れがゆっくりになるのを感じる。ボールペンやキーボードに走らされて作業していると、書くという行為はどうしても効率や速度に従属してしまう。では、つけペンはどうか。そこには、ほんのわずかな「間」がある。インク瓶にペン先を浸し、余分なインクを軽く落とし、紙の上に触れるまでの数秒。その短い時間は、不思議なくらい何も考えない。深呼吸、あるいは瞑想に入る感じに近いかもしれない。
初めてつけペンを手にしたのは、Gペンを間違って買ってしまったときだ。漫画家の使うあの古風な道具を使ってみたかった、という単純な興味だ。僕はもちろん漫画を描かないし、絵が得意というわけでもない。文房具好きの気の迷いが発動したに過ぎないのだろうけど、今となってはよく思い出せない。ご存知の方もいると思うけども、Gペンはかなり使いづらい。線の強弱が筆圧でつけられるのだけど、漫画筆記に特化した道具であるため慣れが必要で、手元やペン先を意識せざるを得ない。何も考えずにサラッと書くような使い方には向いていないのだ。
そんな記憶があったもので、カキモリさんにご提案いただくまでつけペンに対して抵抗感があった。けれど、カキモリ店頭で手に取ったつけペンは、僕の中にあった古い印象を一新した。まずペン先が全く見たことのない形状。インクを溜める溝がペン先に走る弾頭のような形をしている。この形がまた秀逸で、軸を傾ける角度で線の太い・細いが楽に切り替えられる。そして8本の溝にインクが溜まることでインクの持ちが良く、長く描くことができるのだ。
そしてペン先をすすぐだけで、すぐに他の色を使うことができる点も見逃せない。これはかなりの衝撃だった。インク・万年筆好きからすると、使いたい色の数だけペンを揃えるか、洗浄してインクを変えなければならないというジレンマがある。洗浄はそれなりの手間がかかるし、手を入れをする時間も楽しいけれど頻繁にやるものでもない。それを軽々突破して多色遣いができるというだけでハッピーな気分になる。それこそ水彩画のような使い方ができるのだ。
カキモリ店内に並ぶつけペンはどれもきちんとデザインされていて、現代の生活に自然に溶け込むような佇まいをしていた。スタッフの方が使い方を穏やかに説明してくれるその時間も含めて、つけペンというものがぐっと身近な存在に感じられたのがamanaiで取り扱うことになったきっかけだ。

つけペンに限らずだけど、書く道具について考えるとき、一つのイメージが頭をよぎる。それは映画 『2001年宇宙の旅』の中の有名なモンタージュ。原始の時代に骨が宙に放り投げられ、次の瞬間には宇宙船へと変わるあの繋ぎだ。時空が一気に飛躍し、人類の進化と技術の発展が一瞬に映し出される。様々な解釈があったりもするけれど、僕は人類にとっての道具と重ね合わせている。
ペンの系譜を辿っていくと、尖筆(スタイラス)というのが元祖っぽく出てくる。葦(あし)の茎や金属を尖らせたもので壁や粘土板を引っ掻いて書き残した道具。ぱっと思い浮かぶのはラスコーの壁画。最も古い絵であるとその昔、学校で習った気がするけど、念のため調べてみるとインドネシアなどでもっと古いものが発見されているらしい。まぁ何が最古であるにせよ、いかに人類が進化して技術が発展していこうとも、細く尖ったもので何かを引っ掻くという営みについては、本質的に何も変わっていないのだなと思い知らされる。
PCで文章を書くときは、簡単に何度でも修正ができる。現にこの文章もPCで書いている。書いては消して、打ち直して、また消して。そこには失敗という感覚があまりない。効率も良い。でもつけペンは、一度紙に置いた線は基本的に消えない。もちろん後から訂正することはできるけれど、その痕跡は残る。だからこそ、手紙を書くとき、絵を描くときに一文字一線を少しだけ慎重に書くようになったりもする。インクが乾いた後のその痕跡が、結果として個性を浮かび上がらせてくれるのだ。
個性、と書いてみて、僕はそれが案外現代的なテーマでもあると思う。インク瓶に浸されたペン先は、太古の尖筆であり、ある意味ではただの骨にすぎない。単純で、原始的な道具だ。でもそれが紙の上を滑るとき、そこには突然、別の次元の何かが現れる。意味を持つ言葉、物語、表現、あるいはまだ名前のついていない感情。それは宇宙船のように、人の内側から外側へと飛び出していく。
もちろん、つけペンが特別な魔法を持っているわけではない。でも少なくとも、それは僕の思索の速度を抑え、注意の向け方を変え、結果として自分と世界の境界を線という痕跡で残してくれる。それこそが、僕にとっては重要なのだと思う。
インクが切れたら、ペン先を瓶に浸ける。その単純な動作を繰り返しながら、静かに書き続ける。特別なことは何も起こらないし、意味もないかもしれない。でも、ときどき飛躍が起きたりもする。そのたびに、少しだけ世界の見え方を更新する。つけペンという道具は、そういうささやかな更新のためにあるのかもしれない。少なくとも今の僕にとっては、そういう存在だ。
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