眼鏡を作る人
Journal #1
2022年某日、眼鏡職人の工房を訪れたときのこと。
職人は軽やかに工房へ迎え入れてくれた。空間には白檀の香りが漂い、神社仏閣の領域に足を踏み入れたかのような厳かな気持ちになった。倉庫の一角に機械や工具が並べられ、機能的で行き届いた作業場であると伺える。一見すると何の変哲もない工房にしか見えないが、他とは異なる「何か」がそこには感じられた。その正体が掴めるかがこの日の密かなテーマになった。
工房へ訪れたのは注文していた眼鏡の受け取りと、眼鏡づくりを見学するためだった。眼鏡店の方に仲立ちをしていただき、職人のご厚意でお邪魔させていただいた。自分の使う眼鏡を作った職人と話ができる機会なんて、そうはないだろう。
眼鏡を受け取り、まずその滑らかさ驚いた。パーツとパーツが有機的に繋がって一体となっている。生地はアセテート、つまりプラスチックフレームだ。一枚の板から切り出して、細かい工程を積み重ねた後、丹念に研磨される。すべての工程が手作業によるものだ。滑らかということは肌あたりが柔らかいということでもある。鼻や耳のあたりが心地よく、しばらくすると身体の一部のように馴染んでいた。ヒトの身体に平面がないのと同じように、この眼鏡には平らな面が無く、まるみを帯びた「曲面」のみで構成されている。鏡に映る自分と眼鏡は、すでに何年も連れ添っているかのようで心が弾んだ。
ところで眼鏡づくりは、各工程・各パーツごとに、それぞれを専門とする業者や職人が請け負う分業が一般的だ。機械にかけるか手作業にするのかは企画やデザイン次第だが、分業制にすることで効率化とリスクヘッジを兼ねている。眼鏡産業の長い歴史の中でこの形態に落ち着いていったのだろう。そんな業界の常識に抗うかのように、ほぼすべての工程を一手に担い、眼鏡フレームをハンドクラフトしているのが今回訪ねた職人だった。
職人の話を聞いているうちに「求道」という言葉が自然と思い浮かんだ。詳しくは書かないが、冒頭のテーマである「何か」は空間にではなく、職人の世界観に触れたことによる違和感だったのだと思う。信仰と藝術が不可分だった頃のモノづくりのように、思想と技術をモノに落とし込みながら探求する作家でもあるのだ。
その手法が眼鏡づくりであったことは不思議でならないが、人の肌に触れる日常の道具であったのは個人的に嬉しい。身に着ける道具であり、職人の創り出した芸術を身に纏う、ということでもある。それでいて「ラフに扱ってくれていい。また直すから。」とけろりと言う。軽い工房見学のつもりが、刺激を受けるとても愉しい時間となった。
amanai
神奈川県鎌倉市由比ガ浜3-1-2
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